再会からの計らい
再会 浜中治氏
すさみ町総合運動公園にて
阪神タイガース原口文仁選手の
チャリティーランフェスティバルが開催され
ゲストとして元阪神タイガースの4番打者
浜中治氏も来場されました。
私は大会の開始前に浜中氏の控室を訪問しました。
私「ご無沙汰です。すさみの浜中です、覚えてますか?」
浜中氏「久しぶり。覚えてるよ。活躍は風の便りで聞いてるよ。昔、浜中対決って言われたもんな。でもオレに1回も勝てんかったな。」
これが私と浜中氏との23年ぶりの再会で
最初に交わした会話です。
実は私と浜中氏は名字が同じで同級生でして
小学校から高校まで野球で対戦して
唯一1度も勝てなかった相手です。
私たちの世代のヒーローです。
昔を記事と一緒に少し振り返ってみます。


少年野球の時の浜中治氏は
芳養クラブの主将でエースで1番バッターでした。
そして公式戦全大会優勝という
偉業を達成されその中心でひときわ輝いていました。
私はすさみクラブの
主将でエースで4番として何度も立ち向かうも
1度も勝てることはなかったです。
この頃です、浜中対決が始まったのは。
中学野球を経て高校3年生の夏。







高校時代は浜中治氏は南部高校の
1番ピッチャーとしてプロから注目を浴びていました。
私は熊野高校の1番ショートでした。
夏の甲子園出場をかけた最後の大会は
お互いにベスト4に進出しましたが
準決勝で敗れました。
智弁VS南部 熊野VS伊都
この年の春のセンバツ甲子園出場の
智弁と伊都に負けてしまいました。
お互いに勝って決勝でもう1度対戦したかった。
そしてリベンジしたかった。
このベスト4の紀三井寺球場の熱気や雰囲気は
今でも忘れません。
観客席は超満員、バックネット裏には何球団もの
プロのスカウトが沢山来てました。
優勝は今や全国でも有名となった智弁和歌山。
2年生に後にプロ野球の近鉄に入団した高塚投手
そしてこの大会ではエース級の活躍をした同級生で
一緒に日本代表としてアメリカ遠征にも行った畑山君の
活躍で智弁が優勝し甲子園に行きました。
このように小学校から高校まで浜中氏は
プロ注目の和歌山県のスーパースターでした。
高卒で阪神タイガースに入団し


後に4番打者として活躍

オリックスバファローズ

ヤクルトスワローズ

昨年までは阪神1軍打撃コーチとして活躍され

今年からはおはよう朝日の火曜日担当に復帰します。
はまちゃんとはまちゃんのツーショット

はまちゃんからはまちゃんへサイン

はまちゃんありがとう!
これからの活躍を楽しみにしてます。
また会える日まで(^^)v